魚ランチ ファンが大集合する極めつけの一軒

お昼前の11時25分、まだ暖簾のかかっていない引き戸を開けた。すでに先客がひと組、メニューの黒板を眺めながら談笑していた。

かならず相席になるこの店では、いつも表に近い端の席に着く。開店の11時30分を過ぎると10分も経たないうちにまず満席になる。そしてその客足は間断なく とだえることがない。

黒板にチョークで書かれた本日のメニューは、「赤魚の粕漬け」、「なめたカレイの煮付け」、「塩さけ・めんたい付き」、「活わらさ刺身」の4種。黒板の端にめんたい 100円とあった。

書かれてはいないが、このお店のランチにはもうひとつのメニューがある。毎日かならず刺身の品が定食の一品としてあるが、その同じネタの小皿刺身があるのだ。

この小皿刺身(このお店では小刺と云う)のお値段が200円。どのランチを選んでも定食は780円なので、この小皿を追加しても1000円を超えない優しさである。

久々に出会った「なめたカレイ」を選び、加えて小皿「わらさの小刺」をオーダーした。

たったこの短いあいだにほぼ満席になっていた。馴染みの客のひとりが大声で厨房に向かって「刺身を食べたいんだが、歯を治療中で少し痛むんだけど大丈夫かな?」

間髪いれずに厨房のカウンターから顔を出した店主が「今日の わらさ は活きがよくて歯ごたえがあるからやめた方がいいでしょう!」

そんなやりとりで、テーブル4つだけの小ぶりな店内はいっぺんになごんでしまう。

《歳とり魚》と呼ばれ、成長の速いところから出世魚とも呼ばれる成魚過程で名前が変わる鰤(ぶり)。その青年期になる 《わらさ》 は確かに弾力を感じさせる歯ごたえのある魚だ。

日本中どの近海でも獲れる冬場の人気魚だが、とくに荒れた天候下で面白い反応をする魚でもある。

雷が鳴ると一斉に走り出す習性があり、北陸沿岸では荒天でのダイナミックな巻網漁法で1000尾も揚げるという。

富山湾まで出掛けてそのワイルドな漁をひと目見たいものである。

ちなみに60cm ~80cm の《わらさ》は関東だけの呼び名で、関西は《メジロ》、北陸では《フクラギ》と変わるが、1m を超える成魚は皆《ブリ》となる。

ただ一席空いていた筆者の向かいに男性客が入り、ぴったり満席となった。そのサラリーマンと思しき客が着席すると同時にオーダーしていた「なめたカレイ」が運ばれてきた。

料理を待つ満席の中、大皿で運ばれてきた立派な「なめたカレイ」が皆の注視を一身に集める。着席したばかりの向かいの男性客が迷いなく 「なめたカレイの煮付け」!

目にも鮮やかなカレイの白い身が煮汁で溶けそうなほどに柔らかい。味付けもどこでも食べ慣れた甘く濃い味ではなく、白身魚の旨さが舌にほどける微妙な薄味だ。そして弾力のある「わらさの刺身」がワサビでピリリと立ってくる。

向かい客のオーダーした「なめたカレイ」が目の前に運ばれてきた。しかし筆者のものに較べると あきらかに小さかった。とても申し訳なく思ってしまった。人間の身長に高低差があるように、切り身でもない限り魚にも大小はある。世の中、運・不運があるのである。

                       えてカレイの一夜干し

以前この店で食べたカレイは<えてカレイ>の一夜干しであった。

山陰ではあたりまえに食卓を飾る干しカレイだ。幼い頃 一時期だけ鳥取にいたことがあり、よくこのエテカレイの干し魚を食べた記憶がある。

やはり懐かしさも手伝い相当に美味かった。東京で味わうことができた郷愁のひと皿だった。

旬を知らせてくれるさまざまな魚たち。イワシも一年中あるようだが、実は季節がある。

5月頃からが旬で、まだ小ぶりな小羽(コベラ)ものが獲れはじめ、初夏に向かって太った大羽が揚がってくるようになる。ちょうどこれからがイワシの旬なのだ。

"カタクチ"刺身に、干し"ウルメ"、焼きと煮付けは"マイワシ"...と云われるように、片口鰯(カタクチイワシ)は刺身、潤目鰯(ウルメイワシ)は干し魚、真鰯(マイワシ)は焼きと煮付けとして永く庶民の食卓をにぎわしてきた。

一時は綿畑の肥料になるほどに獲れていたイワシが最近では激減し、すっかり高級魚になってしまった。その成分や味は昔ながらのものだが、今や大衆魚ではない。

今から四半世紀前には450万トンの水揚げがあり、3日に1度は献立に登場するという庶民には心強い味方だった。また秋刀魚(さんま)のように短い季節に制限されない万能魚であったことも、重宝な食材として庶民に普及した。

            大羽ものが3尾のランチメニュー「イワシの梅煮」

それからたった25年で、その漁獲量が何と当時に較べ、たったの 1パーセント強の6万トンまでに落ち込んでいる。値段が倍加するのは当然のことだろう。

そうなると、ますます食べたくなるのが人情というもの。イワシのメニューがあれば見逃すはずがない。このお店ではイワシが登場しても、やはり780円なのだ。

梅干しと一緒に炊き合わせ、香味ゆたかな生姜の千切りが添えられる。青魚特有の臭みは見事に消え、かすかな酸味がいかにイワシの旨味を増すことになるかをを実感させてくれるひと皿になる。

もうお分かりのように、このお店にはお約束のメニューなど無いのである。店主が早朝 築地中央市場に仕入れに行って毎日の献立てが決まる。その日、ネタが良くて多めに購入することによって徳用と思われる食材を思い切って仕入れたりもすると云う。

若い店主はそんなことを飾り気なくサラリと語る。だからメニューはランチ直前に決まることになる。客の我々にとって逆にそれが楽しみになるのである。

 《川治》独特の味わいを持たせた西京漬けのランチ、「鰆の西京焼」

魚偏に春と書くサワラ。春の到来を告げる魚として広く知られるサワラは今や全国区となっているが、実は正しくないと いつも思っている。春を告げているのは瀬戸内の人たちにだけである。

サワラが産卵期の春に多く訪れるのは瀬戸内海だけである。瀬戸内の人たちにとってサワラはまごうこと無き春の魚であろう。しかし全国区であるはずがない。

だから瀬戸内以外の我々にとってサワラの美味さを実感できる旬は冬なのである。つまり産卵直前のサワラの方が美味いに違いないからだ。京の白味噌で絶妙な甘さを増す白身の魚なら、やはり身に脂をまとった魚がよい。

春を目前にした3月の声を聞くと同時にこの川治には登場するのである。ここの西京漬けのサワラも身にたっぷりと脂をまとっていることは云うまでもない。

ときどき和食なのか洋食なのか判然としないランチメニューが登場する。マグロほほ肉のソテーや秋鮭のバター焼きやマグロのステーキである。上記写真でおわかりのように、いずれもドーンと重たいランチだが、これが忘れがたくなる魚料理になってしまうのだ。

忘れがたいメニューになったとしても、この次いつ出会えるか わからないと云う不安定きわまりないメニューであることに変わりはない。

いつでもオーダーできる献立てでないところが、実にゆかしいのである。しだいに渇望するようになってしまう。恋愛も食欲も つまるところ あまり差はないのではないかと思うことがある。

思うままにならないものへの執着があるから人間なのだろう。ふと樋口一葉の 『にごりえ』 が想い出された。人間ほど不確かな生き物はいない。だから面白いのかもしれない。

さてランチのことだが、都内でも素直に魚を美味いと思う店はある。例えば築地市場内の「高橋」、「かとう」など数店はもちろん旨いが、とても1000円以下では味わうことなどできない。この日本橋浜町の一店、きわめて希少と云える。

ここ 「川治」 でのランチのメニューや雰囲気はうっすらとイメージされたことと思うので、最後にディナーのことをお伝えする。まずひとことで総括すると、ランチ以上の満足をお約束できる内容と申し上げる。

①イワシ煮②そら豆③カラスミ・大根④磯つぶ貝⑤あん肝⑥正才フグ⑦白子てんぷら⑧海老の鬼殻焼き⑨焼き牡蠣⑩あんこう汁⑪刺身盛合わせ⑫カジキの西京焼き⑬香の物⑭クジラのソテー⑮焼きハタハタ

昨2010年に友人のひとりが勝手に結婚をしたと云うので、花嫁を囲むため ごく親しい友人だけがここ「川治」に集まった時のメニューである。

ディナーのメニューは店主のおまかせで、何が出てくるかはいっさい当日になるまで不明なのである。しかし内容も量も十二分に満足できる料理であることは上記写真で想像されたい。

あえて予算などのコストはここでお知らせしないことにする。当日の仕入れによって、多少の上下動はあると思うが、ほぼ皆さんがその支払い額の安さに驚かれるはずだ。抜群のコストパフォーマンスに必ずやビッグサプライズ・ディナーになることと思う。

なお夕食予約を取る際は、人気アーティストの前売りを確保するような強い覚悟で臨むことをお奨めする。

(注:価格は2011年5月現在)


川治 -かわじ-

住所
東京都中央区日本橋浜町2-8-5
電話番号 03-3666-1100
営業時間
11:30~13:00/18:00~23:00
お休み 土・日曜・祝日
交通
地下鉄半蔵門線水天宮駅徒歩6分・日比谷線人形町駅徒歩5分・都営新宿線浜町駅徒歩2分


  奥多摩山塊のふもとをうめつくす梅の花

           「日の出山」の南麓に広がる梅の公園

今年もまた梅花を愛でる季節がめぐってきた。寒さのなかにも健気に梅のつぼみを開かせ、高尚な香りをふり撒きはじめている。

先日、ある集まりでワイン談義から梅酒の話へと移行したおり、話題が梅の花見にまで及んだ。どうも同じ花見でも桜に比し梅は通好みであるらしい。諸氏の梅に寄せる識見は高く、梅見の古い歴史の話にまで遡ってゆく。

そんな会話の中で興味を持ったのが、青梅(おうめ)にある吉野梅郷だった。湯島天神や小石川後楽園の梅も風情はあるが、山裾で敷きつめたように咲く吉野梅郷はただならぬ味わいだという。

さんざん吉野梅郷の魅力を吹き込まれ、日帰りもできると云うので奥多摩まで出掛けることにした。

梅の公園入口で迎えてくれる蝋梅(ろうばい)

JR立川駅から青梅線に乗り換え、さらに青梅駅から単線に乗り換えなければならなかった。

降り立った駅名は「日向和田(ひなたわだ)」。

なんとも不便を絵に描いたような路線だが、駅から出ると空気がすこぶる美味かった。

駅前にあった「神代橋」からの眺めは素晴らしく、橋下20mを流れる多摩川は泰然とした落ち着きを見せている。

ぶらぶらと歩くうちに「梅の公園」の入口にたどり着いた。「梅見橋」という小橋を渡ると公園内である。


その入口一帯で迎えてくれたのが蝋梅(ろうばい)で、妙に艶めいた色気をもつ梅だった。強い芳香を放つ中国原産の唐梅である。

その先は小高い山が前面に立ちはだかり、山の斜面を梅の木がおおうように花をつけている。ふもとからはいくつもの階段や道が造成されており、訪問者は思うままの道を散策していた。

梅林に囲まれた道を登るうち視野が広がり、梅の花に包まれた山肌が一望できるようになった。山間に造られた公園だけにその広さと景観はダイナミックである。

山の中腹(第1東屋)から見る「梅の公園」

この日はまだ梅の開花が七分といったところか。しかし それでも見ごたえのある風景を展開し、訪問者の目を十分に愉しませてくれている。満開時は梅の花が幾層にも重なり山の地肌が見えなくなるという。

山間部にある梅林のためか、満開は他所より少し遅れて来ると聞いた。例年3月の中旬から本格的な満開期が訪れるらしい。

園内には休憩所として4つの東屋が設けられており、3つは小高い山の尾根に、ひとつは斜面に咲き乱れる梅花を見上げる谷に造営されていた。

                   山の頂上(第2東屋)からの絶景

それぞれに梅見の盛観ポイントとなっており、一番の高所となる第2東屋からは斜面を埋め尽くす梅花から裾野に広がる梅郷の町並みまでが一望できる。

ここまで登るには少々骨が折れるが、壮観な眺めが待っていてくれるのでお奨めする。

しかし山登りと云ってもハイキングていどの登りなので、お年寄りでも健康な方なら問題なしと思われる。

山上からの梅見に区切りをつけ、谷間にある第4東屋へと向かう。下りは運動量もかなり楽で、前面に広がる眺望を愛でながらの快適な復路となった。


谷底に設けられた「たいこ橋」のそばに第4東屋があった。そこから見上げる梅花は特別な眺めであった。ふもとから高所へと山の斜面に咲く花が雲海のようにけぶっている。自然だけがあやなす紅白の配合は妙趣にあふれていた。

梅が中国から渡来したのが弥生時代というからその歴史は相当に古い。薬用や食用として栽培されていた梅が、しだいに鑑賞草木として珍重されてゆく。

文化史でも梅花登場の変遷が見てとれる。古くは万葉集の詩歌など文芸記録に現われ、しだいに絵画など美術工芸にも広がり名品が残されていった。

尾形光琳による 《紅白梅図屏風》 やゴッホに影響を与えたとして名高い安藤広重の浮世絵 《亀戸梅屋敷/名所江戸百景》 などはその好例だ。

岩割の梅(左)、親木の梅(中央)、鎌倉の梅(右)

梅の公園を後にしたが、せっかくの遠出なので梅郷の町を散策することにした。この町はさすがに青梅というだけあって、いたるところに個人農家の梅園がある。

梅郷の里を歩くには格好のハイキングコースになる「観梅通り」という道がある。その通り沿いには個人梅園、寺社、記念館(吉川英治記念館・きもの博物館)などが点在する。

その昔、土地の娘が想いを寄せる若武者の出陣にあたって植えた梅の木が、後に岩を割るほどの生命力を見せた《岩割の梅》。現在の梅郷の元祖と云われる大聖院裏にある《親木の梅》。大空のもと土地に残された民話と観梅の散策もまた一興。

むせかえるほどの梅花で包まれた梅の公園も豪華だが、古木の枝ぶりや一輪また一輪とほころぶ個人農家の梅園に見る風雅な佇まいもまた格別であった。

古木より新しい生命を息吹かせる 《親木の梅》 は大聖院裏の境内にひっそりと立つ


吉野梅郷 梅の公園

住所
 東京都青梅市梅郷4-527
開園時間
 9:00~17:00 無休
入園料(梅まつり期間中のみ)
 200円 小学生以下無料
お問合わせ
 0428-24-2481 青梅市商工観光課
交通

JR青梅線「日向和田」駅徒歩15分


黙って座れば登場する充実のおまかせランチ

鶏の南蛮漬(左上)、サンマのトマト煮(右上)、串かつとカボチャのフライ(左下)

食べたいものをメニューから選び出しオーダーをする。食事のなかでも楽しい瞬間のひとつだろう。

しかしランチともなると、時間に追われながら ちょいの間に昼食をかきこむサラリーマンやO Lが圧倒的に多いのも現実。お昼どきになるとビルから一斉に路上に溢れる人たち、お昼の限られた時間に食事を楽しむことなど大都会では無理なのかもしれない。

ここにご紹介するお店は、そんな都会の務め人にとって貴重なお店と云ってもいいだろう。まずメニューがないので、選ぶ手間がない。正確に云えば、オーナーシェフおまかせのランチメニューがひとつだけあり、店前にその日の献立が案内されている。

毎日その品は変わり、変化に富んだ料理の皿が組み合わされることも嬉しいポイントだ。そして小鉢、変わり鉢、主皿、お椀、香の物というセットの限定55食だけだが、900円というお値打ち価格で提供される。このコストパフォーマンスの高さも大きな魅力だろう。

とにかく席につけば何ひとつ話さなくても料理が運ばれてくるのだ。幼い頃に味わった テーブルにつくと出てきた家庭料理のようではないか。しかしここの料理は自宅では決して味わえない ひと手間かけた仕事の皿ばかりである。

サバ竜田揚げ(左下)、鶏の煮こごり(右上)、豆腐と豚しゃぶのサラダ(右下)

和をベースにした料理なのだが、どこか創作料理のような洋味が混ざり飽きることがない。主皿以外に付く小鉢や変わり鉢もメインに負けないボリュームなので主皿が3品もあるように感じられる。

今回ご案内している料理(写真)は定番メニューではないので、必ず出会える保障はないが参考までに4回分ほど紹介しよう。

サンマをトマトペーストで炊いたものや、サバの竜田揚げにはカレー風味のしめじ餡がかけられ、余ったカレー餡をご飯にかけられるようにスプーンまで添えらていたりする。そして時には洋食のミートソーススパゲッティや中華の棒々鶏などが組み合わせられ、一見ミスマッチに見えるそれらの皿も日本人好みの惣菜となる。

ミートソースパスタ(左上)、焼き茄子とミントのサラダ(右上)、はんぺん肉詰めと竹輪のフライ(左下)、具だくさんのお椀(右下)

そんな変化球のなかにも、椎茸・がんも・大根・ブロッコリー・こんにゃくの焚き合わせ(煮物五種)など和の直球料理も料理盆を飾る。揚げもの皿はフライやてんぷらだが魚や肉に必ず野菜が添えられる。キスと茄子の天ぷら、串カツとカボチャのフライといった具合だ。

またサラダに関しても、他店にありがちな申し訳程度の生野菜ということはなく、アクセントにミントをあしらったり、あっさりとした鶏の煮こごりや豚冷しゃぶ などとも合わせたりする。ひと手間仕事は汁物までおよび、魚のアラ汁やけんちん風に具材たっぷりのお椀となって付け合わされてくる。

こざっぱりとした和趣味の店構えで、店前に置かれた木樽にはランチの献立が書かれ、目隠しに植えられた紅葉の枝などが小さな木陰を落としている。静かなその風情に誘われ店の扉を開けたのが初回の訪問だった。

店内にも落ち着いた空気が流れており、さらに運ばれてきたランチの旨さに驚き、瞬時で気に入ってしまった。それから以降、何度かランチを楽しんでいるが、いずれも充実した内容である。

 和の趣向に溢れる店構えと店内の様子

そんな充実のランチが900円とあって、昼どきともなるとあっという間に満席となる。900円で提供するためには、食材選定にも限りがあるだろうが、オーナーシェフの吉澤重昭氏の手にかかると飽きのこない工夫と品数で、心憎いほど豊かな午餐に仕上がってしまう。

毎日3種の献立に変化をつけながら組み上げるには、料理の数や幅は半端ではないはず。幸いにも彼と話す機会にめぐまれたので、さっそくそのことを尋ねてみた。

『食材や料理手法に こだわりを持ったことがない。それが自分流なので創作料理などと呼ばれるような構えた料理はいっさいありません』 と涼しい顔で答えてくれた。素材を見ると、すぐに料理が思いつくらしい。

大阪道頓堀からスタートし、目黒雅叙園などのキャリアを経て、この「さくら 本店」を2001年12月4日に開店させた。そんなキャリアの中で自ら体得した食感のみを主軸にして料理を造りつづけているという。

『こだわるとしたら、お客さまへの接客姿勢でしょうか。うちは作り置きとか、温め直しの皿は決して出しません。ランチであっても手抜きはしません。また忙しい時ほど気配りも徹底するとか...このあたりのことはこだわってますね』 、ひとこと ひとこと熱を帯びてくる。

"もてなし"という言葉をどこかに置き忘れてしまったような店が多いなか、行き届いた気配りは何よりの馳走かも知れない。とにもかくにもメニューの選べる夜にはいったいどんな料理が並ぶのか、一度のぞいてみたくなるお店ではある。

煮物五種(左下)、カキと茄子のフライ(右下)、鶏の煮こごりサラダ(右上)


(注:価格は2011年1月現在)


さくら 本店

住所 東京都千代田区富士見1-7-10 パリスビル1F
電話番号 03-3230-0141
営業時間 11:30~13:00/17:30~22:30 (土 予約のみ)
お休み 日曜・祝日
交通
JR飯田橋駅徒歩5分/
地下鉄(東西線・南北線・有楽町線・大江戸線)飯田橋駅徒歩5分


晩秋から初冬へと移ろう広大な公園

        訪れる人もいないプールサイド(昭和公園)で色づくイチョウの樹

ほとんど "雑駁(ざっぱく)" であると友人たちから性格を格付けされている筆者でも、たまには気取って 《季節》 などを感じてみたいと思うときもある。

深紅に色づく紅葉もいいのだが、今年はその前に黄金色に色づくイチョウを観たくなった。思いたつとすぐに行動しなければ気のすまない困った性格も生来のもの。

青山の絵画館通りも明治神宮も有名すぎて混み合うのでパス。今回は少し評判になっていた練馬にある光が丘公園に出掛けてみた。いいぐあいに色づいていたが、なにか物足りなさを感じてしまう並木道だった。

土曜の昼下がりだ、まだ時間はある。もう一か所挑戦することにした。以前住んでいた八王子が急に想い出されたのである。大正天皇の多摩御陵近くの20号線(甲州街道)が見事なイチョウ並木であったと。

                      甲州街道沿いのイチョウ並木

1時間弱かけ西八王子まで足を伸ばし多摩御陵まで出向いた。

しかし残念だが記憶にあるようなイチョウ並木には出会うことはできなかった。

記憶違いなのか 時期を失してしまったのか 筆者には判然としないが、満足するものでなかったことだけは事実であった。

しかし暮れゆく甲州街道で、住んでいた頃を思い出しながら散策できたことは大きな収穫であった。

決してしつこい性格ではないが、どうしてもイチョウの色づきを求め、翌週の土曜日にもう一度挑戦することにした。

知合いの大学教授からの情報で次のターゲットを立川の昭和記念公園に決めた。戦後、立川米軍基地として接収されていた土地が1977年に返還され、その跡地に造営された公園である。

当日午後からのんびりと出掛けてしまいJR立川駅からアクセスしたらすでに2時を回っていた。駅からいちばん近い入口は「あけぼの口」。そこから入ると「みどりの文化ゾーン」と名付けられたエリアで、昭和天皇記念館や屋上庭園などがあった。

しかしここはまだ公園内ではなかった。そこから西へと向かい「みどり橋」を渡るとやっと公園が見えてきた。噴水が一直線に並び両側の並木は黄金色に輝いている。見事なイチョウ並木だった。

 カナールと呼ばれる噴水水路の両脇には金色に輝く見事なイチョウの並木道

ゲートで入園料を支払い公園内に踏み入ると、カナールと呼ばれる水路が200mもつづいている。カナールとは通常は運河を意味するが、造園用語にもカナールという語があり、水を湛えた水路のことを指している。

そのカナールには行儀よく噴水が並ぶ。そして金色の落ち葉で覆われた道が左右に配置されていた。

落ち葉を踏みながらそのひとつの道に分け入ると、木漏れ日が落ち葉にまだら模様を映し、見上げると道にかぶさるイチョウの葉群れが太陽を受けて輝くようなドームをつくっている。呼吸を忘れるほどの色を見せてくれていた。

カナール両側のイチョウ並木道は双子のように並んでいるが、黄葉化のペースが違うのか、左側は完全無欠のごとく黄金色だが右側の方はまだ青々とした葉が多く残っていた。

位置の違いによる日照度加減のいたずらかもしれない。

その趣の差異も好もしく映り、何度も行ったり来たりしてしまった。

そのせいだと思うが妙齢のご婦人から声をかけられた。


「ここよりもっと大きなイチョウが並ぶ、ここよりもっともっと長い並木道があるのをご存知ですか?」

彼女が思わず教えてみたくなるほど、筆者は呆けた顔でイチョウを観ていたに違いない。

                            「水鳥の池」のほとりでは紅葉が点景に

ご婦人の熱のこもったレコメンドによるイチョウ並木道は公園北西部にあるらしい。さっそく礼を述べその並木道を目指すことにした。

しかし園内の広さは半端ではなかった。かなり北西部へと歩いてぶつかったところが「水鳥の池」という大きな池であった。

水面にはボートが浮かび、水鳥たちが舞っている。水ぎわには紅葉した木々があたりを赤く染めている。

その大きな池の西側沿いに回り込むとひっそりとしたプールに出た。

このエリアには9つの違う意匠のプールがあった。プールサイドのイチョウが葉を落としながら黄葉し、そのたたずまいにしばし見惚れてしまった。(トップの写真)

9つのプールサイドをゆっくり歩いていると、4時30分の閉門を知らせる場内アナウンスが始まった。

時計を見ると4時15分を過ぎている。あっという間の2時間だった。度重なるアナウンスに急かされるようにしてゲートに向かった。

が、どうしても心残りなのは西南部にあるという大イチョウ並木にたどり着けなかったことか。

たどり着けないのも無理はない。後で調べたのだが公園のその広さ、162.5 ヘクタールもあった。東京ドームがそっくり35個も入ってしまうほどだから、公園内にある案内MAPでは簡単に行けそうでも とんでもない距離があるのだ。

昭和記念公園のフロント域にあった見事に黄葉したイチョウに一度は大満足したはずなのに、1週間経つうちに行きそこなったイチョウ並木に再挑戦したくなり、週末にはすっかりその気になっていた。

ものすごい数のシャンパングラスが丁寧に積み上げられてゆく

ふたたび昭和記念公園のゲートに着いた。しかし公園内はたった1週間で様相を一変させていた。200m もあったカナールの水路からは完全に水が抜かれ、あれほど輝いていたイチョウの葉はすっかり落ちてしまっている。

道に落ちていた枯葉まで綺麗に清掃され、全景が秋色からモノトーンへと沈み寒々としている。前回たどり着けなかった西南部にあるという大イチョウ並木も同様になっていると思うと、すっかり出鼻をくじかれ歩く速度もギヤーダウンしてしまった。

コンクリート底がむき出しになったカナールでは何人もの作業員が忙しそうに立ち働いている。

遠目には清掃していると思っていた彼らが、シャンパングラスを一心不乱に積み上げていた。

一方カナールの両側にあった葉を散らしてしまったイチョウの幹には飾り着け前のLEDライトがぶらさがっている。

通りかかった作業員に聞くと、翌週末の12月4日から始まる 《ウィンター・ヴィスタ・イルミネーション》 の準備作業とのこと。

これから1万5000個のシャンパングラスを何か所にも積み上げるという。イルミネーションにいたっては15万個も使用するらしい。

とんでもない日に来てしまったようだ。しかし ここまで来た以上、あの大イチョウ並木や完成したばかりという日本庭園なども歩いてみることにした。冬の気配を知らせる風が歩く足元をすり抜けてゆく。

30分弱も歩いたろうか、ようやく西南部の大イチョウ並木に着いた。やはりイチョウは葉を落とし、うら淋しい冬景色になっている。

正面ゲート近くのイチョウに比べ はるかに樹高もあり、並木道もぐんと長く300 m 近くある。ご婦人が推奨していたように1週間前は極上の景観であったことが容易に想像できた。


この道に立ったとき、白黒映画 「第三の男」のラストシーンにダブってしまった。

映画での舞台設定は冬の並木道。遮るものもない一直線の道をヒロインのアリダ・ヴァリがカメラに向かって歩いてくる。一点透視図法に据えられたカメラ。

豆粒ほどだった彼女がしだいに表情が見えるほどに近づいてくる長回し。

このノーカットのラストシーンは名匠キャロル・リードの演出で不朽の名シーンとなった。

今ここの公園も陽が陰ったのか樹木が高いためか全体がモノトーンに近く、いきなり頭の中にそのシーンがよみがえっていた。

人ひとりいないこの道を端から端まで歩いてみた。 たった1週間という短い期間で確実に冬に入れ替わったことを実感する。

ここがふたたび黄金のように光り輝くには、あと1年という期間を待たねばならない。

四季を通じて何でも手に入る時代でも、今回のようにたった1週間で手からこぼれ落ちてしまい、次回味わうには長く待たねばならない季節もあるのだ。

さて今回のイチョウ黄葉の追っかけ記はこのあたりで終了となりそうなのだが、さにあらず。

シャンパン・グラス・ツリーの出来栄えや、夜の公園風景を味わうため、高らかに冬の到来を告げるウィンター・ヴィスタを訪問することにしたのである。

このウィンター・ヴィスタの催しは今月の4日の土曜日から26日の日曜日まで開催している。時間は夕方の5時から9時までである。18日以降だが日によって花火まで打ち上げられるという。


12月4日の土曜日、所用が長引き立川駅に着いたのは7時近かった。

師走になると、ひときわ東京の夜がきらびやかになる。街中のいたるところがイルミネーションで装われるからだ。

最近では ひと頃のような驚きや新鮮さが失われ、やや食傷気味にさえなってきている。

しかしこの昭和記念公園のゲートまでを歩きながら遠目に映るイルミネーションを観て感じたことがある。

公園の周辺には まったく高層建築物が無いためネオンや他の灯が見当たらず、加えて空が思い切り広かった。

だから闇の濃さが街中とは比べものにならないことに気付いたのだ。イルミネーションを点すにはこれ以上の環境はない。

意匠を凝らしたイルミネーションの絵図が闇に浮き上がっている。濃厚な色が遠くを歩く筆者にまでストレートに届いてきた。


初日とあってか、ゲート前には入場しようとする訪問者と、すでに十二分に楽しみ帰路につく家族連れで混み合っている。

ゲートを抜けると公園内は多くの色調の光で占領されていた。

カナールのフロント部には あのシャンパン・グラス・ツリーが陣取り、数秒ごとに色変化するライティングで浮かび上がっていた。

3体あるツリーでも最大のものはグラスが6500個も使用され積み上げられたものだ。

頂点のグラスからあふれ出る水が、場内の灯りを宿しながら数千個のグラスの足をつたい落ちてゆく。

カナールの噴水も、流れる水もやはり場内の灯りを乱反射させ、光と溶け合っていた。

両脇の並木道ではLED電球を身にまとったイチョウが 200 mも林立し、そぞろ歩きをするものを温かい光で包みこんでいる。

そしてカナールの一番奥まったところにある大噴水は大量の水を噴き出し、白くけぶる水壁をつくり ....その水ごしに眺望できるカナールの遠景は秀逸のひとこと。そこを離れさらに奥へと進むと、大きな広場が見えてきた。途中のフードコートやレストランでは家族連れで賑わい、団欒がかもす暖かな声が風に乗って伝わってくる。

「ふれあい広場」ではフェアリーテールの舞台のように光のオブジェが広範に拡散していた。テラスに置かれた屋外テーブルで、小休止しながら しばし夜景を愉しむことにした。広い夜空の下で見るイルミネーションは確かに美しかった。

イチョウの黄葉を追って始まったこの巡遊も、気がつけばイルミネーションになってしまった。飛び飛びではあるが約1ヶ月かかったこの小旅行、確実に季節の変わり目に遭遇できたようだ。

また明日からは時間に追われる生活に戻っているかもしれない。追われてばかりじゃ疲れてしまう。たまには何か夢中になって追っかけてみたいと素直に思う。

凛とした空気があたりを包み寒さが忍びこんでくる。そろそろ退散するとしよう。ここはもうすっかり冬になっている。


国営昭和記念公園

お問合わせ 042-528-1751
住所
 東京都立川市緑町3173 昭和記念公園 昭和管理センター
開園時間
 9:30~17:00(3/1~10/31)
 9:30~16:30(11/1~2末)
休館日
 年末年始・2月第4月と翌日
Winter Vista Illumination
 2010/12/4~12/26
入園料
 大人400円 小中学生80円
交通

JR中央線「立川」駅徒歩10分/JR青梅線 「西立川」駅 徒歩2分/多摩都市モノレール「立川北」駅徒歩8分


ハロウィンの大カボチャで満杯だった夢の島

子供たちの遊び相手で傷だらけになってしまったカボチャたち

久しぶりにヨットや船を見たくなり夢の島マリーナまで出掛けた。熱帯夜のつづいた夏もすっかり去り、静かになっただろうと思ったからだ。

新木場からゆるゆると公園を横切りマリーナそばの熱帯植物館の前を通り過ぎると、フェンス越しに植物館の前庭に大きなカボチャがゴロゴロと転がっているのが見えた。

そう云えば万聖節が近い季節になっていた。日本では万聖節と書くより、その前夜祭となるハロウィンと表現した方がピンと来るかもしれない。

欧州ケルト地域より発祥した民間行事だが、ジョン・カーペンターやスピルバーグなどメジャー映画で繰り返し描かれたり、音楽では同名(スペルは違うが)のドイツ出身のヘビーメタルバンドが日本でヒットするなど、今ではあちこちで見かけるほど日本でも馴染んできた感がある。


正面ゲートにさしかかるとやはりハロウィンのにぎにぎしい案内看板が置かれている。

マリーナはこの植物館の背中合わせにあり、歩いて数分の距離である。急ぐこともないので少しだけ巨大カボチャの顔を見てゆくことにした。

マリーナには何度も足を運んでいるが、熱帯植物館に入場するのは14、5年ぶりになるだろうか。

夢の島はゴミ埋立処理場として高名だったが、その跡地利用として1978年に43ヘクタールの広大な総合公園として生まれ変わった。

この熱帯植物館は公園誕生から遅れること10年後の1988年に開館している。

3つのドーム内は小笠原諸島の貴重な固有種などを生育し亜熱帯の鬱蒼とした風景を展開させていることでも知られている。

入園すると前庭に置かれたカボチャには何組かの親子連れが群がり遊んでおり、相当混み合っていた。子供たちは興奮してカボチャに乗って飛び回っている。子供たちが飽きるまでには、まだしばらくかかりそうである。その間、久々に館内を見学することにした。

Aドームにある涼しげな滝裏の道

温室ドーム内に一歩踏み入ると、湿気をたっぷりと含んだ空気のせいか呼吸まで重く感じる。

前回の入館はずいぶん以前なのでコースなどほとんど記憶になく、初めて訪問した感覚になっていた。

3つのドームにそれぞれテーマを持たせながら展開しているのはよいのだが、植物に付けられている説明文やプレート位置が雑然とし特定できない植物があまりに多く興味が半減した..というのが今回の印象だった。

入口近くにガイドツアーが設けられていたのはそのためだろうか。

しかしガイドを依頼しなかった筆者のような訪問者には繁茂した熱帯植物のなかをただ漂うだけとなってしまう。

沖縄にもいくつかの熱帯植物園があるが、もっと訪問者の目線に合う工夫と努力がなされている。


興味を持ちこれから訪れるであろう子供たちや見学者の側に立った創意工夫にはまだまだ余地が残されているように思う。熱意さえあれば、予算をかけずとも出来ることはまだまだあるはず。

屋内1階にはイベントホールがあり、そこは思い切りハロウィン一色の飾りで塗りつぶされていた。そしてハロウィンイベントのひとつが実施中。

ハロウィン・グッズの手作り教室なのか、何やら熱心に取り組んでいる親子連れで大賑わいだった。

早々に館内見学を切り上げ前庭へと戻ると、カボチャのガーデンは気持ちいいくらい静かになっていた。巨大なカボチャのいる風景は、どこか楽しげで不思議なひとコマになってくれる。


ひとつひとつのカボチャがこれほど表情が違うのかと再認識するほど、彼らの顔はバラエティに富んでいた。

しかもそれぞれ体重が50kgから100kgもあるという。

途中に、子供たちと遊んでいて力尽きたのか、割れてしまったカボチャが横たわっていた。

表皮の色からは想像できないほど清楚で白い実が白日のもとで輝いている。

割れた姿なのに、どこかいさぎよく堂々としていた。

好き勝手に並ぶカボチャたちに別れを告げ「夢の島マリーナ」へと出発した。海へと向かう道で、植物館からすぐのところにマリーナへと降りてゆく階段がある。階段上からは停泊したクルーザーやヨットが一望できる とても気に入っているポイントだ。

なんの変哲もない石段だが、この階段だけは一段一段たっぷり時間をかけて降りることにしている。皆さんもこの階段の上に立てばご理解いただけるだろう。

夢の島マリーナの景観は葉山や城ヶ島などのマリーナに比べ、こぢんまりとしている。もともと夢の島は運河と水路に囲まれた水の迷路のようなところである。しかし、お江戸の時代は埋め立てなどまったく無い、まごうことなき海であった。だから川のような景観だが川とは違う色を見せてくれるのである。

夢の島マリーナ

土曜日なのに埠頭には人影はなく、停泊している船上で数組の家族がクルーズ後の片付けをしているばかり。聞こえるのはマリーナの左岸に設けられたバーベキュー広場の喧騒がかすかに水上を渡ってくるだけであった。

そちらを眺めやるとバーベキュー広場は大混雑状態なほど賑わっているのが遠目でもわかった。しかし彼らの声は風に消され、漏出した騒音だけが水面をすべり 届いてくる。

このマリーナには船のガソリンスタンドともいうべき給油所があり、その正面にはマリーナのメインビルがある。その1階にはラウンジや相当数の水槽が置かれ魚たちが悠々と泳いでいる。さっそくこの2階あるテラス・レストランでコーヒーブレイクをとった。潮風と太陽がいっぱい!

夢の島マリーナは直線距離にして700mにおよぶ埠頭を有しており、海と丘に挟まれたまっすぐな道が横たわっている。丘の緑色と海の青色を分ける直線の一本道、静かに海風に吹かれて歩くには最良の散歩道と云えるだろう

休憩後、潮風を身体に貯め込みながら埠頭を歩いていると、山側の緑のなかに朱色を発見した。どうやらカボチャのようだった。

遠目なので よく確認できないが、熱帯植物館で役目を終えたカボチャの遺棄場所に違いない。カボチャの遺棄されたその場所はマリーナを見下ろす山側の小高いところだった。今いる場所からは直接登れそうもない。

またまたハロウィンのことに戻ってしまった。

ハロウィンの日が10月31日というのは、発祥である昔のケルト地域では1年の区切りが10月の終わりで、11月1日が新年に相当したことから始まっている。

緑の森と林に抱かれるようにカボチャの姿が

つまりこのハロウィンは大みそかにあたり、1年の収穫感謝と同時に先祖霊の戻る日でもあったのだ。

先祖帰りの際、悪霊やいたずら妖精が家に入らぬようにとカボチャのランターンを魔除けにして飾ったという。

海の香りも充分愉しんだので、夢の島訪問の最後にカボチャのお墓をお参りしてゆこう。ただその場所に行けるかどうかも定かではないが、とにかく探してみることにした。

再びハロウィンの話だが、その日に先祖霊が帰って来るというのは、まるで日本のお盆のようではないか。

どこの国にもそんな行事があるようだが、それぞれの行事習慣は同じ国でも土地が変われば作法もガラリと変わる。

ましてや外国のものならなおのこと。だから日本におけるハロウィンの普及は外国文化として大まかに捉えた方がシンプルで理解しやすい。


明治の頃、真剣に日本のお盆に興味を持った妙な外国人がいた。彼がたまたま焼津に宿泊していた時の話である。ちょうどその日はお盆の最終日つまり先祖霊を送り出す精霊流しの日にあたっており、彼はその精霊流しをひと目見たくて朝から心待ちにしていた。

しかしどこで聞いたのか、この精霊流しは夜遅くから始まると思った彼は午後仮眠をとることにしたのだ....そして、目が覚めると午後10時を過ぎていた。急ぎ浜へ出ると精霊流しはすでに終了し海の沖合にちらちらとロウソクを灯した精霊流しの小舟が遠ざかりつつあった。

どうしても彼は美しい送り火を真近でひと目見たいと思い、単身海へと泳ぎ出してしまう。そして精霊流しのおもちゃのような船団に追いつくのだが、その進路をさまたげることをはばかり、また そのあたりに漂う霊気をも感じて浜へと泳ぎ帰ったという。

彼の名はパトリック・ラフカディオ・ハーン、帰化した日本名を小泉八雲と云った。

後に多くの日本に関する著書を残し、半生を日本に過ごした彼をもってしても、異国の伝承行事や文化を理解する難しさをその著書に述べている。

         海を一望できる丘に眠るカボチャたち

カボチャの遺棄された場所という確かな目的でもなければ入らないような小道を行くと、ついに見つけた。役割を終えた多くのカボチャが遺棄されていた。

マリーナと海を見下ろす小高い丘で、カボチャたちは眠りにつき土へと還る。生命ある万物の起源は海というから、生物は海に引き寄せられてしまうのかもしれない。眠りにつくには願ってもない丘だった。


夢の島熱帯植物館

住所 東京都江東区夢の島3-2
開園時間 9:30~17:00
休館日 月曜(祝日の場合翌日)
ハロウィンイベント期間:~10月31日まで
入園料 大人250円 中学生100円(都内在学中無料)

お問合わせ 03-3522-0281

交通
地下鉄有楽町線/りんかい線 「新木場」駅 徒歩15分


お魚屋さん直営のダイナーで旨いランチを


~東京のダイナー~

東京には「鰻」、「鮨」、「そば」に「てんぷら」など老舗と云われる名店が多く残る。

しかし料理種にこだわらず東京都民の胃袋を満たしてくれた昔ながらの食堂は今や貴重な存在になりつつある。

と云うことで、百味一店でも不定期ではあるが、昔から愛されたきたダイナー(食堂)を折々にご紹介。


丼からはみ出した生きのよい穴子のてんぷらが3本。

運ばれて目の前に置かれるだけで満腹しそうなボリュームなのだ。

こんがりと揚がった大ぶりの穴子と濃い目のたれがからみ、大いにご飯がすすむ。

この穴子天丼のお値段が、ちょうど1000円なり。「富岡水産」というお魚屋さんが直営する地元客が常連という食堂 富水のランチメニューのひとつである。

水かけ祭りで有名な富岡八幡宮からすぐのところにある地元で愛される魚屋さんだ。店先では鮮魚のほか焼き魚や煮魚も売られており、梅雨どきはイワシ、夏の真っ盛りになればサンマと旬の惣菜も賑やかに並ぶ。

魚好きには食堂に入る前に、その日仕入れられた鮮魚や総菜を眺められるので、美味しそうに煮付けられたイワシやカレイなどおおよそ食べたいものの見当をつけてから入店できる。

ランチメニューの煮付けにはカレイ、キンメ、ギンダラ、サバ味噌などを定番としているが季節によって旬の魚も登場する。やはり白米に一番似合うのは鮮度ある煮魚だろう。すべて定食で価格は1000円が中心となっている。

イワシ煮魚定食 900円(左)、あら煮定食 1000円(右)

                             魚屋のマグロコロッケ定食は800円

マグロコロッケなるオリジナルのフライもある。マグロの粗いミンチを小型のコロッケとして揚げ、タルタルソースでいただく料理だ。

さっぱりあっさり系の味わいだが、リピートするうちに癖になるようで、ランチタイムでも注文の多い料理に育っている。

フライものはこの他にアジフライ、白身魚のフライ、エビフライの入ったミックスフライなどがあり、10月にはカキフライも登場する。

どこにでもあるのがアジフライだが、どこにもないのが旨いアジフライだ。素材・鮮度・揚げ方が勝負になる。

日本橋「松輪」や築地市場内「かとう」のアジフライなどは惣菜屋で売られるアジフライとは別物なのだ。こちらのアジフライもかなりイケる。

またこれから登場するカキフライも相当に旨い。生ガキの鮮度を瞬時に封じ込めたようにミルキーで大ぶりのカキフライ。アジにカキ、いずれも定食にして1000円である。

ここ門前仲町は富岡八幡宮の門前町として栄えていた歴史があると同時に、深川の漁師町としての顔も持つ。

寛永6年(1629)、深川は潮除堤(しおよけつつみ)近くの干潟に深川漁師町が形成されている。佃島の漁師町とともに幕府に一定量を献上後、残りの漁獲を日本橋の市に卸していた。

つまり今の築地市場の母体のひとつとも云えるわけで、この深川漁猟の伝統は昭和30年代に漁業権を放棄するまでつづいていた。

イクラとネギトロの二色丼

こちらの富岡水産の創業は昭和初期というから、当初は明治13年にできていた深川魚市場から仕入れていたのだろう。

現在はもちろん築地市場から仕込んでいる。

魚屋さん直営というだけでなく、この土地柄を背景とした魚河岸系大衆食堂なのである。

すし屋のランチでお馴染みの ちらしや海鮮丼までもランチメニューにそろう。


いくら丼、ネギトロ丼、そのふたつを乗せた二色丼、いずれも1000円。この他 ちらし、鉄火重、それぞれ並(1100円)・上(1800円)とあり、手巻き寿司(1500円)などもある。

魚料理の原点とも云える刺身もランチメニューに顔を出す。刺身定食(並・上)はもちろんだが、アジ刺丼(900円)やサバ味噌とまぐろ刺身を組み合わせた味噌富水(900円)、そしてフライ、てんぷら、うなぎなどとのコンボ(セットメニュー)は選択に迷うほどだ。

かつ丼(900円)、豚肉の生姜焼定食(900円)、サイドメニューには玉子焼き、明太子、納豆、塩辛など大衆食堂ならではの料理や小鉢もカバーしてくれているのが嬉しい。

 サバの味噌煮とマグロ赤身の刺身をセットした味噌富水定食(左)、豚生姜焼定食(右)

昼も12時頃には大きく広い店内が必ず満席になる。しかも回転の速さは小気味よいほどで、店員と厨房の活気あふれるオーダーのやり取りで品切れの料理が増えてゆく。

長くやっているだけあって客層の幅はさすがに広く、そんな人たちで賑わう店内はどこか居心地のよい場になっている。夜は居酒屋に変貌するらしいから、さぞかし毎晩賑やかなのだろう。

束の間の手すきに夜のメニューを白版に書き込む視線も真剣で、頭の中に出来ている献立てなのか書き連ねてゆく手はよどむことがない。見事なものだった。

そして何よりも明るさに花を添えてくれるのは女将さんの人柄か。料理の撮影で懸命になっている筆者に向かって 「ホントに幸せね、この料理たち。写真に撮ってもらって!」と心地よい風のように通り過ぎていった。


(注:価格は2010年9月現在)


食堂 富水
 -しょくどう とみすい-

住所 東京都江東区富岡1-10-3
電話番号 03-3630-0697
営業時間 11:00~14:00/17:00~22:00 (~20:00 土・日・祝)
お休み 不定休
交通
地下鉄大江戸線門前仲町駅徒歩3分
/地下鉄東西線門前仲町駅徒歩1分

咲けば命の尽きる花が...咲いてしまった

千石の一行院に咲いた龍舌蘭(リュウゼツラン)

"龍舌蘭" 開花のニュースが飛び込んできた。場所は文京区千石にある「一行院」という寺院だった。初めて聞く名である。でもすぐに行こうと思い出掛けることにした。

咲けば終わる命と知りながら咲く植物を無性に観たくなったのだ。静かに観たかったので、朝早くから出掛けられるようにスケジュールを調整し現地に向かった。

地下鉄都営三田線の千石駅から白山通りを南東へ歩き、少し路地を入るとその一行院が現れる。時刻は9時を回ったばかりであった。

龍舌蘭を半世紀にわたって育てた一行院

誰もいない境内へ一歩入ると、眼は無意識に龍舌蘭を探していた。

本堂正面には植樹が多く、どこを探しても見当たらない。

ぐるりと振り返り境内を見渡すと、入り口近くの左隅にひときわ背の高い龍舌蘭を見つけることができた。

そのたけ 5、6メートルはあるだろうか。


ひょろりと長く伸びた茎の最上部から節ごとに花茎が出て黄色い花をつけている。メキシコ原産の熱帯性植物だが、驚くほどにその成長が遅いと云われている。

アメリカでは花をつけるまでに100年かかるという かなりオーバーな 《Century Plant》 という名まで付けられている。

花が開くまでの期間は個体格差もあるようだが、熱帯地では20から30年、日本などの温帯地では40年から50年との目安がある。

ここ一行院でも先代住職が境内に植えたのが1965年というから、ちょうど45年もの歳月が過ぎていた。

花が開く前兆は2ヶ月ほど前になると空に向かって急速に茎が伸びるという。そして花をつけ2週間ほどの開花期を終えると枯死してしまうのだ。

日本語に"潔い(いさぎよい)"という言葉がある。妙に懐かしく惹きつけられる響きがある。

自己の熱情や想いのありったけをぶつけ ひとつの信条を全うし後悔せずという、きわめて切れ味のよい純粋行動だ。

現在闊歩している功利主義や合理主義に真っ向から反する行為だろう。常に選択肢を効率良く選び最低保障をどこかで想定する最近の傾向に対して、真逆をゆく思想だ。

たった一本だけ青空に向かって立つ龍舌蘭に、ふと浮かんだ言葉が"潔さ"だった。花の散り方に潔さを発見する日本人は江戸の昔から桜が大好きである。しかしこの龍舌蘭は "次" が無い散り方をするのだ。

鑑賞後 あっさり「ハイ さよなら」ともならず、ついつい境内めぐりをしながら次のスケジュールの許される時間まで居てしまった。

一行院満徳寺は開基して400年も経つ古寺であった。龍舌蘭を植樹した前住職は2年前に芝増上寺へと転任されたらしい。

整然と並ぶ石仏や当寺に縁深い徳本上人の墓所など荘重な中にも、訪問者を和ませてくれるカエルの置物などがところどころに配置されていた。


本堂前の大きな木立は枝垂れ桜だった。春にはこのあたり一帯が艶やかに色づくのだろう。

今を盛りと咲く龍舌蘭はまもなく茎ごと枯死してしまうが、この長い間に育んだであろう地中の子茎がこれから登場するはずだ。

来春には龍舌蘭の子茎が顔を出しているか、枝垂れ桜の鑑賞がてら再訪することにしよう。ちょうど新たな見学者が4組も山門をくぐってきた。バトンタッチをするように山門を抜け一行院をあとにした。

       龍舌蘭の新たな見学者たちが一行院の山門をくぐる


一行院

-いちぎょういんー

住所 東京都文京区千石1-14-11

TEL 03-3941-2035

交通
都営地下鉄三田線 「千石」駅 徒歩5分


夏にはもってこい、三遊亭圓朝の残した幽霊

         谷中にある「全生庵」でひっそりと開催されている"幽霊画展"

夏とともにやってくる風鈴や金魚やかき氷。わが国では昔から真夏の暑さを涼しく演出してくれる風物がある。しかし残念ながら時代が進むにつれ消えていったものもある。

背筋を寒くするゴースト・ストーリー映画も、お化け屋敷などのアトラクションも真夏には欠かせない楽しみのひとつだった。もちろん現在でもTVではそれらしい番組が編成されているが、盆踊りや朝顔市のように明快な夏の季節感は無く希薄になっている。

そんなに古くない昔でも、映画の夏プログラムでは必ず怪談映画やホラー映画が組まれていた時期があった。親に連れられ入った映画館の座席の感触や匂いは昨日のことのように覚えている。

英国ハマー・フィルムによる洋画ホラーと日本のハマー・フィルムと呼ばれた大蔵映画によって大量生産されていた怪奇映画。夏になると決まって公開されたB級映画はそれなりに涼味を感じさせてくれていたのである。

展示会場は静まりかえった全生庵本堂に隣接した建物だった

そんな映画の中でも 『四谷怪談』 に次いで繰り返し映画化されたのが 『牡丹燈籠』 と 『真景累ヶ淵』 のふたつだった。

それぞれ5、6回は映画化されている。

なかでも大映で1968年に製作された『牡丹燈籠』は上質で、幽霊お露を演じた赤座美代子はとても はかなげで美しかった。


山本薩夫監督によるこの映画の出色は夫婦役の西村晃と小川真由美の掛け合い演技で、映画の怖さを倍加させてくれてもいた。

このふたつの話を紡ぎだしたのが、初代三遊亭圓朝(えんちょう)だ。落語の怪談噺(かいだんばなし)として創作されたが、完成度の高い作品として演劇や文学にも多大な影響を与えつづけている。

圓朝が残した幽霊はこれらの怪談噺だけではなかった。生涯をかけて蒐集した多数の幽霊画も遺していた。その貴重な幽霊画展が毎年ここ全生庵で、8月のひと月間だけ開催されているのである。

昨年の夏に訪問したかったが、ついに行きそびれてしまった画展だった。今年は構えて待っていたので8月になると早々に出掛けた。

団子坂下の交差点から三崎坂を全生庵へと向かう。今日も酷暑日で数歩上るごとに、汗が流れ落ちてゆく。坂をだらだらと上る影が印画紙に焼き付けられたようにくっきりと浮かんでいる。


全生庵門前には涼しそうな水色で幽霊画展と書かれたタテ長の看板が置かれていた。

境内には人っ子ひとりいない。本殿に昇ると左に隣接した建物に画展の入口があった。

参拝を終え、さっそく入場する。もちろん展示場内は撮影禁止なので残念ながら作品はお見せできない。

ギャラリーは2つの歩廊からなり、全36点の掛け軸画に描かれた幽霊たちが静かな迫力で迫ってくる。

乳飲み子を抱く幽霊、蚊帳(かや)のそばに立つ幽霊、荒れ野の中の幽霊....沈黙する幽霊たちが想像していなかったほど多くを語っていた。

絵の作者は無名の絵師から円山応挙まで様々。歌川広重(三代広重と推定)の "瞽女(ごぜ)の幽霊" も面白い。

中でも一番惹かれた作品は "花籠と幽霊" と題された絵だった。松本楓湖という常陸の国(茨城)出身の絵師によって明治8年に描かれたものだ。

清楚な感じの女霊、彼女の手で投げられた花籠。絵に入れる落款(作者の署名に代わる印章)を画中に描かれた額入りの 《月雲図》 の中に配した粋な構図である。


圓朝の墓前にはいつも花や線香が

絵に見入っているうち、1人もいなかったギャラリーには5組の入場者が増えていた。そして入場した時は滴るほど汗だくだったのに、知らぬ間に乾きすっかり常態に戻っていた。

このあと、三遊亭圓朝の墓参をし、しばしのあいだ墓前で時間を過ごした。

圓朝は噺家になる前に江戸っ子絵師の歌川国芳のもとで仕事奉公しながら画工のたしなみも身につけていた。

幽霊画蒐集に際しての審美の目利きはその頃から醸成されていたのだろう。その集めた作品も100におよぶという。

絵師に限らず、彼の生前の交友関係は多岐にわたり、活動と視野の広さをうかがわせる。

明治の思想家であった山岡鉄舟との交誼もあり、山岡によって建立されたこの全生庵に眠ることになった理由もそんなところにあるのだろう。


圓朝に別れを告げ境内に戻ると、"圓朝まつり" の案内を見つけた。"まつり"とはなっているが、実際は "圓朝忌" が本題のイベントである。

毎年圓朝の命日である8月11日前後の日曜日に開催する。2010年の開催日は8日の日曜であった。落語好きなこともあり、うっすらとこの行事のことは知っていたが参加したことはなかった。

ものごとには弾みというものがある。これを機会に当日再訪することを決め全生庵をあとにした。

"圓朝まつり"の当日、全生庵に着くとすごい状態になっていた。まだ午前10時前だというのに外の道路まで人で溢れかえっていた。まるで満員電車の中を移動するようにして、本殿までたどり着くとすでに法要が始まっていた。

本堂内の遺影を飾った仏壇前には、大勢のゆかた姿をした落語家たちがずらりと着座をしている。読経の声が外にも聞こえており、本堂下を埋め尽くさんばかりに集まった人たちも静かに聞き入っていた。

                       法要後、柳家小三治を先頭に姿を見せた師匠たち

8月に入ってからの猛暑ぶりが連日報道されていたが、この日も午前中から地熱が這い上がってくるような暑さだった。

つたい落ちる汗を背中に感じながら待つうち、法要が終わった。

本堂から姿を見せ始めた噺家の師匠たち。

柳家小三治、三遊亭金馬、三遊亭圓歌、鈴々舎馬風、入船亭扇橋、桂歌丸....

階段下ではお焚きあげの支度が整い僧侶たちが待っている。

毎年この圓朝忌には特製の福扇が売られており、古い福扇のお焚きあげがされるのだという。

2002年に始まったこの行事。

当初の圓朝忌は文字通り、落語家たちだけによる業界内の法要であったが、今では圓朝や落語を慕う人なら誰でも参加できる "まつり" に進化したようだ。

お焚きあげで合掌する柳家三三(さんざ)

云わば福扇はこの進化の賜物。人の多福を願う気が凝れば、その媒介となるものはお札でなくとも熊手でも扇でもよいのである。

それはともかく、この炎天下に勢いよく燃え上がる炎は周りの温度を焦がしている。

後ずさりしたくとも人の海で後退できないのである。見ているだけで倒れそうになる光景だった。

さすがの暑さで早々に切り上げられたお焚きあげのあと、圓朝まつり主催者である落語協会による開会スピーチが始まった。

登場したのはこの6月に鈴々舎馬風から会長のバトンを渡された柳家小三治。飄々とした風貌の中にも芸風を追求する厳格な姿勢を持つことで知られる名人だ。

彼のややとぼけたスピーチで "まつり" の開会宣言がされた。やっと境内を埋めた人たちが動きはじめ流れができてきた。

本堂右側に法要前から長蛇の列ができていたので、そちらに向かってみる。最初は本日予定されている奉納落語会の列かと思っていたが違っていた。

今年の福扇を求める列であった。今年の扇には小三治の筆による一篇の句が書かれている。なんとも とぼけた自作の俳句だった。扇子を眺めていたら入手したくなり、列に並ぼうと最後尾を探した。

列に沿って歩いてみたら、何と本堂裏手にある墓所の中までつづいており、列が複雑な蛇行を見せ最後尾が見つからないのである。あっさりとあきらめ境内に戻ることにした。ちなみに奉納落語会の方は当日を迎える前にすでに完売をしていた。

境内に戻ると落語家による芸人屋台が大変な賑わいを見せ、立錐の余地もないほど込み合っている。ライスカレーや冷や汁から芸人がシェーカーを振るカクテル屋台まで、普段お目にかかれない屋台ばかりが軒を連ねていた。

フード以外にもゲームや寄席文字、落語絵手紙、骨董品中心の噺家グッズ、駄菓子にマジックなどなど。

手ぬぐいの意匠には一見識のある五明楼玉の輔の屋台ではオリジナル手ぬぐいと噺家たちのブロマイドなどが売られていた。屋台の屋号も浅草のブロマイド専門店マルベル堂をもじって「ハルベル堂」!

古今亭志ん輔の「にせ辰」では正楽の紙切りポストカードや圓朝まつり限定の手ぬぐい。説明していたらきりがないほど、どこも大賑わいなのである。

谷中という場所がらか、噺家たちと大衆の温度感が溶け合っている自然な情景が強く印象に残った。

大汗かきながら歯切れのよい応対が小気味よい各噺家。左から先輩順に並べてみた。   柳家小里ん、古今亭志ん輔、柳亭市馬、桃月庵白酒の各師匠。

三遊亭圓朝の話に戻るが、亡くなって110年も経つ今日でもプロの噺家たちを強く惹きつけるカリズマ性を放っている。

そのカリズマが生まれることになったのは圓朝が師匠から受けた "いじめ" が原因ではなかろうか。当時巧みな噺家であった圓朝は嫉妬され、本番で出そうとしていた演目をことごとく先に口演されてしまう "いじめ" にあったという。

圓朝の真骨頂はそのいじめに敢然と向き合ったことだろう。誰もできないオリジナルの噺を創ることでそのハードルを越えようとした。本人はいじめと思わず叱咤激励ととらえた可能性もあるのだが。(この後、師匠の死後に残された遺児たちを6年にわたって面倒を見ている)

そして一連の怪談噺やら人情噺の 『文七元結』、『芝浜』 などの名作が生みだされていった。後世、才能があったと片付けることは簡単だが、その才能でさえ問題に向き合い戦わなかったら開花しなかったことは明らかだ。

       圓朝まつりで賑わう全生庵を高みから包むように見つめる大観音

彼は大衆という等身大のサイズを視野に置きながら創作していたのだろう。大衆芸能の最前線で伝承され確立してきた落語のもっとも重要で忘れてはならない視点だ。

湯島で生まれた彼は、ここ谷中や根岸は遊び場であったに違いない。妻となったお里も隣の御徒町の出身で、自己の創りあげた牡丹燈籠の舞台まで、ここ谷中の三崎(さんさき)にしている。

しかし、さすがの圓朝でも牡丹燈籠を創り上げた時は、それから20年ほど後の同じ場所に自分が眠る所となる全生庵が創建されるなどとは想像だにしていなかったことだろう。縁(えにし)というのは小説以上に不思議なものである。


全生庵

-ぜんしょうあんー

住所 東京都台東区谷中5-4-7

TEL 03-3821-4715

幽霊画展
期間
 毎年8月1日~31日の期間限定
時間
 10:00~17:00
料金 拝観志願金 500円

交通
地下鉄千代田線 「千駄木駅」徒歩5分/JR・京成電鉄「日暮里駅」徒歩10分


続 ・ 金魚のいる涼景を探して

          「金魚坂」の敷地内に置かれた小粋な水鉢で泳ぐ金魚

金魚のいる風景を探して本郷にやってきた。ターゲットは昔から名高いスポットの「金魚坂」。知ってはいても訪れるのは初めてである。

今日も東京は熱帯地になっている。ビルも道路もコンクリートで固められているから、赤道直下の熱帯地より性質(たち)が悪い。強い風が唯一の救いだった。 

本郷と云えば東大赤門が有名だが、その東大よりも金魚坂は はるかに長い歴史を持つという。創業が江戸期の金魚・錦鯉の卸問屋。300年以上もつづく老舗で現在は七代目のご主人が切り盛りをしている。


初訪問だが場所だけは知っていた。菊坂通りから金魚坂のある細い路地に入り、坂を登る。

建物を取り巻くように立てられた のぼりには大きな金魚の字が見える。

のぼりの中の金魚が強い風になびくように泳いでいた。

「金魚坂」は金魚の販売と飲食店などの営業をする複合施設だった。

カフェレストランのあるメイン建物の周りには、すき間なく金魚関係のもので埋めつくされている。


かわいい金魚すくいのコーナー

冷房のきいた冷たい飲み物の待つ屋内へ、すぐにでも駆け込みたい誘惑に駆られたがじっと我慢。

金魚観賞を優先し敷地内を見学。カフェの入口近くに置かれている水鉢や睡蓮鉢が印象的に映った。

もちろん値札のついた鉢には金魚が活けられており、とびきり和の風合いの鉢にはシンプルな和金や小粒の金魚がとても似合っている。(トップと下の写真)

鉢では金魚を上からしか観賞できないが、ガラスの水槽に比べ10倍は涼しそうに見える。


しかし陶器鉢での飼育にはそれなりの苦労が必要になってくるから、選択は迷うところだ。とにかく美しい睡蓮鉢ばかりが並んでいた。

囲い塀に沿って金魚つり用のタタキ池が一連となり、その近くには金魚すくいの水槽が置かれていた。こちらでは"つり"も"すくい"もキャッチ&リリースが基本のようだ。

でもそれぞれのコーナーに張り出された案内には"つり"、"すくい" にも金魚の持ち帰りができるとある。例えば、つりでは2時間以内に20匹以上つれば"琉金"や"朱文金"のSサイズをプレゼントされる...など。

                      つり堀用の一連のタタキ池、そばには長椅子が

30分単位で料金設定されている"つり"では、どう考えても直接金魚を買った方が安価で早い。

金魚を手にいれるのであれば、阿佐ヶ谷の「寿々木園」の方が断然有利だ。

"らんちゅう"などの高級大型種を定期的に釣っている最中に水槽に放流してくれるのである。

釣った金魚のうち好きな3匹を持ち帰れるシンプルなルールなので何度も挑戦できる。

だからここでは金魚の持ち帰りを期待せず、"つり"と"すくい"に熱中すること。"つり"のエリアを抜けると奥には本格的な養殖池が設備されていた。受賞した金魚などを観賞したあと、ようやくカフェに入ることにした。

屋内は半地下のフロアが吹き抜けとなっており空間がたっぷりとあった。店内のインテリアやディスプレイされているものはオーナーの好みなのか、落ち着きのあるクラシックなものばかりである。

さりげなく置かれている小物や壁に掛けられた絵はもちろん金魚。展示販売していた蚊取り線香を置く蚊遣り器も金魚、壁に飾られた番付表は明治22年に開催された"らんちゅう金魚"品評会のものだ。

チリチリと音の聞こえそうなほど冷えたアイスコーヒーが運ばれてきた。口直しのチョコが添えられていた。食事やお酒、シガーまで愉しめるカフェ・レストランのようだ。

濃い珈琲を飲みながら座っているだけで気持ちが和んでくる。遠い昔からこの場所は喧騒の街中にある癒しの空間であったのだろう。


東京には金魚に出会える大きなイベントがある。

三大産地のひとつに数えられている江戸川区で年1度開催される "江戸川区金魚まつり" である。

毎年7月後半の週末に葛西の行船(ぎょうせん)公園で催されるこの行事も、今年で39回目となる。

今ではすっかり江戸川区の風物行事として有名になってしまった。

今年は連日猛暑がつづいているが当日は格別にひどい酷暑だった。


地下鉄東西線「西葛西」駅から15分ほどの距離にある行船公園に向かって歩いたのだが、信号で立ち止まると熱が足から這い上がってくる。

完全にゆであがった状態でゴールインしたのだが、会場内は生気がみなぎっていた。親子連れの客でふくれあがり、そのテンションの高さには脱帽のほかなかった。

過剰な表現ではない。本当に子供たちの顔は輝くばかりの表情で、水槽の中の金魚よろしく走り回っていた。

その子供たちの興奮が親たちに伝染しないわけがない。親子でハイテンションなのだ。

報道で騒がれている子供たちへの悲惨な事件とは別世界のような光景が広がっている。


会場内には15万円もする "琉金" から5匹で100円の "ヒメダカ" まで揃い、懐かしのザリガニやヤドカリまで展示販売されていた。

仰向けにひっくりかえったザリガニが、元にもどる元気もないほど超スローモーションになっている。暑さでバテたに違いない。妙に親近感を覚えてしまった。

                    このサラサの大型琉金が15万円也

さすがに4万から15万もする高価な琉金たちが泳ぐ水槽には人だかりがしている。

琉金は文字通り中国から琉球経由で鹿児島に入ってきた和金の変種である。

優劣の評価基準はお腹の張り具合と尾びれの形だという。

ちなみに金魚名に付いているサラサやキャリコは種類ではなく、体色のこと。

サラサ(更紗)は赤と白の混ざったもの、キャリコは赤と黒に浅葱色(薄い青)の混ざったものを指す。

金魚種としてキャリコと呼ばれているのはキャリコ琉金のことだ。


さらに会場の奥へと進むと北側に長蛇の列ができている。

呼び物として毎年大人気の金魚すくいである。

恒例となったこの金魚すくいは2日間にわたり実施され、1日10000匹の金魚が用意される。


中学生以下が無料で、高校生以上でも100円という手軽さが長蛇の理由か。並んで待ちたくない人向けには会場の一隅に、"高級金魚つり"まであった。1回500円だが1日限定500匹の高級金魚が待っていた。

西葛西駅までの帰り道、道を行くほとんどの人がビニール袋に入れられた金魚を大事そうに家路についていた。

昔より涼を呼ぶだけではなく、気も充溢させてくれるとして珍重されてきた金魚。改めて見直してもよい時節かもしれない。

最後にご覧いただく1枚の写真は先頃日本橋を歩いていて偶然見つけた金魚のいる風景である。三越新館の入口を飾っていた大きな水槽だ。水槽外壁を洗うように流れる水滴ごしに水槽内を泳ぐ金魚たちが一幅の涼景を演出していた。


金魚坂

住所 東京都文京区本郷5-3-15
TEL 03-3815-7088
営業時間
 火~土 11:30~22:30
 日 12:00~20:00

お休み 月曜・祝日

つり堀ほか
つり堀・金魚販売などの営業時間 10:00~20:00 無休
つり堀料金
大人(高校生以上)
30分 700円 延長30分 500円
小人(中学生以下)
30分 500円 延長30分 300円

交通
都営地下鉄大江戸線・地下鉄丸の内線 「本郷三丁目」徒歩3分

金魚のいる涼景を探して

おうように泳ぐ金魚の"オランダシシガシラ(和蘭獅子頭)"

冒頭の写真にある金魚はオランダと名に付いているが、オランダにはまったく由来のない種である。もともとは中国より琉球経由日本というルートの金魚種。

すでに江戸寛政年間(1800年頃)には我が国に入ってきていたようで、その記録も残されている。唯一の貿易港であった長崎から輸入された渡来物にはよくオランダの名が付いたという。

先日 テレビで金魚のことをやっていた。金魚の三大産地のひとつである愛知の弥富が舞台であった。東京の江戸川もその産地のひとつであるのだが、年を追うごとに金魚養魚場の数が減り埼玉へと遠のいているのが現状だ。そこで東京で金魚を楽しめるスポットを訪ねてみることにした。

葛飾金魚展示場の入口

ひとつめのスポットは「葛飾区金魚展示場」。

この展示場は葛飾区でも最北に位置する水元公園の地域内にある。

水元公園と云えば埼玉県三郷市と葛飾区北部にまたがった100万平米におよぶ長大な水郷公園である。

公園内の南東部にあった旧東京都水産試験場の跡地に設営されたのが、この金魚展示場。

つまり東京の境界線ぎりぎりのところにあるというわけである。


                           タタキ池が整列する展示場

以前、ハナショウブの季節に訪れたことのあった水元公園だったが、その日はあいにくなことに金魚展示場はお休みであった。

都心からはかなりの遠出になるが、今回は金魚にこだわったツアーを決めていたこともあり、一日がかりで出掛けてみた。

水元公園に着くと猛暑にもかかわらず相当数の来訪者で賑わっていた。しかし公園の中心から離れ、金魚展示場のある水産試験場跡地へと向かうにしたがい極端なほど人がいなくなってゆく。

金網とネットで固められた展示場が見えてくると、周りには溜め掘のような水路がぐるりと取り巻いており、水面にはハスの花が咲いている。

金網の入口には「葛飾区江戸前金魚展示場」と表示されていた。金魚にも江戸前があるのかと思案しつつ展示場に入った。

50面近くのタタキ池が規則正しく並んでいる。四角くコンクリートで固められた池では24、5種の金魚が活けられている。

金魚の種類は100以上あるらしいが、実際に市場で取引されているのは25種類ほどだと云う。

その市場でお目見えする25種類とこの展示場で観賞できる25種類とが一致するかは定かではないが、おおよそ網羅しているようだ。

奥にはLLサイズのりっぱな金魚が種類別に展示されていた。日頃お目にかかれない優雅な金魚たちに見とれ、また場内に設けられたベンチなどもあったりで、ついつい時間を過ごしてしまった。

展示場をあとにし、近くの駐車場にあった自販機で求めた冷たい水のペットボトルを片手に周辺を散策。水辺のハスやオ二バスの風景もこの日の暑さばかりは和らげてはくれなかった。

入口には観賞魚の案内看板が

次のスポットは金魚つり。"金魚すくい" ならぬ釣りである。

東京でも金魚のつり場は数ヶ所あり、最初は阿佐ヶ谷にある 「寿々木園」 を訪れるつもりだったのだが、今回は市ヶ谷フィッシュセンターをご案内。

先日所用があり市ヶ谷まで出掛けた時、JR中央線からよく見かけた釣り堀を思い出し帰りに立ち寄った。

市ヶ谷駅沿いの外堀の中に仕切られたつり堀があり、カープフィッシングつまり"鯉つり"をメインにしたつり堀である。

                           手前が金魚つり、その奥の中央部が
                           鯉つり場、さらに奥の柵外が外掘

実はこのつり堀の一画で金魚つりができるのだ。ここはビギナーからマニアまで全方向に開かれている。

金魚つりは30分400円(借り竿・餌代こみ)で2匹まで持ち帰り可能だ。

金魚掘りには縁日の金魚すくいでお馴染みの和金が中心。すぐに釣れるので持ち帰りたくなってしまう。


市ヶ谷フィッシュセンターはつり堀よりもが販売をメイン事業にしている施設である。中心に扱っているのは"観賞用の魚"で、鯉や金魚以外にも熱帯魚などを販売している。

つり場に隣接するように展示販売のビルが建っている。何百種の観賞魚に加え多種の水草に水槽など品揃えは豊富。

だから...釣りあげた金魚を眺めているうちに連れ帰りたくなっても大丈夫。自宅に飼う備えが無くてもここで手配りできてしまうのだ。スタッフの明るい応対で何でも相談できてしまうところも好印象であった。

涼しそうに泳ぐ金魚のビニール袋を片手に街歩きをしてみよう。ささやかではあるが涼味を愉しめる。


葛飾区金魚展示場のガイドページ


市ヶ谷フィッシュセンター

住所 東京都新宿区市谷田町1-1
TEL 03-3260-1324
    03-3260-1325 (つり掘)
営業時間
 平日 12:00~20:00
 土・日・祝 9:00~19:00
 無休
料金
 ミニフィッシング(金魚)
    30分1人 400円
(30分につき2匹まで持ち帰り可)

花柳の町で味わう 昭和が香る大衆洋食

シンプルなつくりのオムライスは昔ながらではの味が楽しめる

柳橋2丁目の交差点を隅田川の方へ折れ、しばらく行くと右手に大きな看板が目に飛び込んでくる。黄色の地に「洋食 大吉」と大書され、その下には宣伝文句とメニューが騒がしいほど飾られた木製の飾りケースが設置されている。

お店はビルの地下1階にあるのだが、その飾りケースのそばから直接お店に降りる階段がある。階段による昇降がめんどうだという向きにはエレベーターも利用できる。

      下り階段のある入口(左) 店前の飾りケース(右)

店内にはびっしりとテーブルが置かれているが、明るく広々としており閉塞感を感じることはない。清潔そうなオープンキッチンのそばにカウンター数席があるが、よほど満杯にならないかぎり使用することはない。

この店の推奨は宮内庁からも礼状が届いたという岩中の最高級豚ロースを使用した"岩中ロースカツ(1800円)"だが、これがかなりの大物(320g)で《ひとり飯》にはつらい。数人でシェアするのが望ましい。

岩中というのは岩手中央畜産の略で、岩手県内養豚農家が繁殖から飼育まで品質にこだわりぬき生産した銘柄豚を一括集荷し東京食肉市場へ出荷している会社のこと。

                            岩中豚の野趣あふれる "トンテキ"

しかし 《ひとり飯》でも岩中豚を味わえるメニューがある。

"岩中トンテキ"という豚のステーキだ。200g(1200円)と320g(1800円)の2種がある。

焼きたての豚ロースの上の添えられたレモンスライスとバター。

過度な味付けをさけ、肉の持つ旨みだけの素朴でワイルドなステーキだ。

重量感ある肉の上でバターが溶け、赤身に定評のある岩中豚の味がさらに濃厚になってゆく。

と食感の感想をいくら詳細に記述しても、味ばかりは余人に計れないほど個人的なものだから参考にもならないだろう。


話は少し横道にそれてしまうが、このサイトで「百味一店」という飲食店の紹介ページを書くうちにそのことに気が付いたのだ。

たった一回だけの訪店では、筆者の才からしてまともな紹介文を書けないことが判明したので、気になるお店は何度も訪問することにした。

このことは気の遠くなるほど、効率の悪い取材になることを意味した。しかし...何度もお邪魔するうちに発見できることが多々あることも事実であった。

今では最低7、8回 くらい通ってから選定するようにしたため、お店によっては1年がかりになってしまうこともある。

以前紹介した"ランチ一本勝負"のお店、つまり1種類の料理で頑張っているお店でも最低3回はお邪魔し味わっている。そして初訪店には気付かなかった心地良い魅力を発見し、はじめて紹介したお店もあった。

他店にない名物料理があり一度の訪店で簡単に案内できるようなお店は本来少ないのである。「洋食 大吉」も、その魅力を簡単にまとめて表現するのは難しい店のひとつだ。

レバーの唐揚げとソテー(上2点) 新じゃがのガーリックバター(下)

夕刻からの営業が始まると、店内は洋食居酒屋のような様相を呈してくる。日本人好みの和風洋食の小皿料理が次々とオーダーされ各テーブルに並ぶ。

十勝の士幌より直送される新じゃが(シーズン有り)は"ガーリックバター(300円)"、"フライ(350円)"、"トマトチーズ焼き(300円)"といくつかの料理になり気軽に楽しめる。

ひとつの食材から常に数種の小皿料理がメニューを飾る。レバーなら"唐揚"、"カツ"、和風ソテーの"下町風ステーキ"(いずれも550円)と揃い、ホタテなら"フライ(650円)"、"カルパッチョ(800円)"、"バター焼き(850円)"といった具合。

鮮度ある"椎茸バター焼き(250円)"、"茄子ジンジャー炒め(400円)"を肴にワインやウイスキーを傾ける光景があちこちで始まるが、騒がしい飲み屋というイメージはなく、ほのぼのとした空気感があった。

   重量感のあるハンバーグには目玉焼が添えられデミグラソースがたっぷりとかかる

メニューの豊富さは小皿料理ばかりではない。洋食屋としての定番メニューも細大もらさず網羅する。

この記事トップにアップしたオムライス(900円)は写真でお判りのように太った鯉のお腹を思わせるほどボリュームある一品。

けれん味のないつくりで、ライスに味付けされたトマトソースがあとをひく旨さだ。これはスパゲッティ・ナポリタン(700円)にも共通する美味しさである。

そして かつて嫌いだという言葉を聞いたことのない日本人に人気のハンバーグ。ここ大吉でも数種のハンバーグがメニューに載っているが、写真のものは"元祖!ハンバーグ(980円)"だ。

つなぎが少なく肉の質感を残すハンバーグにやや濃い目の重いデミグラが似合う。鉄板に流れたデミグラが余熱で焦げてゆき香ばしい匂いで食欲を刺激する。

目玉焼きが添えられ付け合わせにはオーソドックスにニンジンとベイクトポテト。シーズンが良ければ、このベイクト・ポテトが思わぬ拾いものになったりする。

昔風ロースカツ、ナイフを入れたのは筆者(左) 昔風特大メンチカツ(右)

洋食の定番メニューであるメンチ "昔風特大メンチカツ(850円)"、"昔風ロースカツ(850円)"、"海老フライ(1200円)"などは一通り試すことができた。

全体に感じたことは、その料理だけでリピートしたくなるような突出したものにはまだ出会えていないが、概ね普通に旨いと思えたことだ。しかしこのことは重要な点である。

東京都内には普通の旨さなのに驚くほど高い価格の有名洋食店が増えている。客がオーダー時に期待した水準を全域にわたりクリアしてくれ、価格も手頃というお店は今後貴重になってゆくだろう。

以上ご案内した価格帯は夜メニューだが、ランチタイムにはコストパフォーマンスの良いランチメニューが用意される。一部夜メニューとダブるがライス・味噌汁のセット(200円)がサービスになるので、グンとお徳用となる。

浮いた予算でメンチやコロッケなどランチ専用の追加オーダーができるというものだ。昼時ともなると地元サラリーマンやOLで相当混み合うが、それも頷ける。

筆者の「大吉」での食体験もワンラウンド(洋食の定番メニュー)が終わったあと、しばらく訪問していなかったのだが、第2ラウンドを始めようと出掛けてみた。

第2ラウンドでは定番メニューから離れた料理を試してみるつもりである。訪店するとランチのピーク時は越えていたようだが、まだまだ落ち着きを取り戻していない慌ただしさが残っていた。

しかし従業員の接客姿勢はいつものように優しくテキパキとしている。過去一度も不愉快な思いをしたことがない。

オーダーしたのは"カジキマグロのステーキ(900円)"。築地市場内をはじめ他所では濃厚な醤油ベースのソースがからむものが多いが、こちらではあっさりと生姜でソテーされレモンスライスの上にバターというビーフステーキのスタイルだ。さっぱりとして風味豊かでとても美味しかった。

これから試そうと思っている"ポークリブの味噌焼き"、"鶏肉のトマト煮込み"、"シチューカツ"とかが楽しみになってきた。

    あっさりとした味付けでいっそう風味が増した" カジキマグロのステーキ "

昭和47年(1072)に開店というから40年弱の歴史だが、柳橋という古くからある花町で地元常連客をしっかりと定着させ根を張るにはそれだけの理由があるのだろう。

週末ともなると地元のご家族連れや老夫婦が小皿料理を肴に楽しく語らっている光景によく出会う。生前 作家の池波正太郎も時々やって来ては、やはり小皿料理の和風仕立ての炒めものを肴にハイボールを飲っていたという。そんな彼の姿も店の中では自然に溶け込んでいたのだろう。


(注:価格は2010年6月現在)


洋食 大吉
-ようしょく だいきち-


住所
東京都台東区柳橋1-30-56 KYビルB1F
電話番号 03-3866-7969
営業時間
11:30~14:30/17:30~22:00(土日祝 ~21:00)
お休み 第2土曜
交通
JR総武線 浅草橋駅徒歩4分・都営地下鉄浅草線浅草橋駅徒歩1分


スカイツリーの膝元で、迫力のジェットスポーツ

吾妻橋のたもとにある水上バス乗り場は現在改築中だが、そばに設けた仮設乗り場には日曜のせいか長蛇の列をつくっている。

隅田川を挟んだ向島の空から、いよいよ高くなったスカイツリーがかぶさるように迫ってくる。今は第1展望台づくりに専念しているため、400m直前で止まっているが、まもなく急ピッチでその高さを伸ばしてゆくだろう。

ビールをイメージして建築されたアサヒビールの本社屋が、隅田川沿いでビール色に輝いている。その黄金色の壁面に鮮やかな青空とスカイツリーが映っていた。眼を射るような強い日差しが夏を感じさせる日だ。

6月6日の日曜日。今日は隅田川でジェットスポーツや水上スキーなどのエキジビジョンが予定されている 「第2回 水面の祭典」の日だ。昨年はあいにくの雨模様だったが、今回は絶好の日和となった。

水上バイクが隅田川を縦横無尽に駆けぬけ水しぶきが上がる。130kgもの艇が空中で舞い、一回転し水中深くへ潜るように着水する風景は迫力のひとこと。

ジェットスポーツと聞いてもすぐイメージできる人は少ないだろう。水上を走るジェットスキーが登場したのが1973年。それから各メーカーが次々に生産を始め、種々のネーミングが生まれると共に様々なタイプの水上乗り物が生み出されてきた。

その後、1992年にはそれらを整理・管理・支援環境を整える目的に国際ジェットスポーツ協会がスタートしている。そして現在、正式競技としてクローズドコースのレースとフリースタイルが注目を集め始めたばかりで、まだまだ世界的にも認知や普及が確立していないというのが現状だろう。

ジェットスキーが生まれる半世紀も前の1922年に北米で生まれたのが水上スキーだ。松の木の板で水上を走ったラルフはおそらく神の領域を旅したにちがいない。

日本で最初に水上スキーを試みたのは、残念ながらやはり米国人であった。その場所は芦の湖であった。しかし最初に日本人が水上スキーをしたのは....ほかでもない ここ隅田川であったという。

今日のエキジビジョンでも水上スキーが披露されたが、いきなり女性による手をいっさい使わない片足スキーである。極端に短いスキー板がその均衡維持の至難さを観客に判らせてくれる。わずかな身体の位置移動に敏感に反応する板の動きが伝わってくるようだ。

水上スキーが終了し再び動き出したジェットスポーツで、3者の中のひとりがトルネードをつくりり始めた。海に比べれば波の無い川なのでつくり易いだろうが、それでも大渦をつくるにはかなりの技術が要求される。

が、しだいに渦が起こりその文様が水面を伝わり川辺へと拡散されてゆく。そして3者の演技が隅田川170mの川幅を目一杯使いながら終盤の演技へと移行する。

フリースタイルのチャンプがバレルロールのジャンプから連続の回転へと加速させてゆく。隅田川右岸の観客から猛烈な拍手が湧きあがる。

万物の霊長類と云われる人類は皆、水の子供たちなのだと思う。ナイル河のほとりに遊んだクレオパトラも、ガラスの樽に入り海中を冒険したアレキサンダー大王も、22歳の時イリノイ州サンガモン河で一日中カヌーで過ごしたリンカーン大統領も、皆、水の子供たちだ。

今ここの隅田川に集まっている演者も観客も、間違いなく水の中で遊んでいた。


学生街で味わう フルボリュームの一杯

一枚一枚こんがりと炭火で焼かれた豚肉が溢れんばかり盛られた豚丼(中)

お茶の水駅のそばにある店で、安くてかなり旨い豚丼に出会ってしまった。

ひと口に豚丼と云っても、まだまだ天丼やカツ丼のようには市民権がない。だからこれが豚丼だというスタンダードがまだ無いのである。

北海道で生まれた豚丼から、牛肉BSE問題で生まれた牛丼まがいの豚丼まで、さまざまな豚丼がある。牛丼の代替え料理として生まれた煮込んだ豚肉を乗せた丼はお馴染みのチェーン店でいつでも食べれるが、北海道タイプの豚丼を提供する店はそんなに多くはない。

もっとも食べ物を定義することなどまったく意味はなく、むしろそこからはみ出す料理が生まれることの方が面白い。つまり豚丼にまだ定番というものが無くその確立過程にあるからこそ、とても面白いのだ。

JRお茶の水駅舎沿いにある豚丼専門店の名は「豚野郎」。丼は北海道タイプの豚丼である。

厚みのあるロースを炭火で軽く焦げるまで炙りあげ、甘辛いタレをからませ大輪の花のように盛りつける。

店内には香ばしい香りが漂い、待つ客の食欲を刺激する。配膳されたボリューム感たっぷりの豚丼は実に旨く、白米飯がすすむ会心の丼であった。


メニューはこの豚丼一本槍のお店ながら、客足の絶えない人気店として大いに繁盛している。しかもランチだけではなく夜の営業もこの丼だけで通している。

料理はひとつだがサイズの選択肢はいくつかある。店のある3階には階段を使うのだが、そのステップにサイズのメニューが大書されている。

小(豚肉150g・ライス200g) 480円、中(200g・400g) 680円、大(250g・500g) 880円の3種である。

Butayaroh3.jpg


~ランチ一本勝負とは~

たったひとつの料理で勝負しているお店のことである。

特に短時間に集中するランチでは、この一本勝負のお店は他店と一線を画す。

メニューがひとつなので回転の速さや仕入れの優位性など成功すれば大きい。

しかし失敗すれば店をたたむことにもなりかねない。

当然自信の料理でなければこんな勝負ができるわけもなく、営業を続けていることこそが成功している証明と云えないだろうか。

ということで百味一店でも不定期ではあるが、ランチ一本勝負を実践している勇敢なお店をご案内してゆくことにする。


大サイズは見るからにゴージャスで、豚ロースが丼からこぼれ落ちそうなほど。視覚インパクトだけで満腹してしまう一品だ。食欲旺盛な学生でもない限り、大人の男性でも中サイズ(上記トップの写真)で充分な量と思われる。女性なら小サイズでも十分満腹感を得られるハズ。

特別な銘柄豚を売りにしていないかわりに、ほどのよい厚さの豚ロースを固くならないように丁寧に丁寧に焼いてゆく。特製タレも濃からずくどからずの味加減で食後の満腹感は残るが、胃にもたれるようなことはない。

夕刻6時からオーダーできるセットメニューがある。あご出汁と薬味3種(海苔・西洋ワサビ・葱)のお茶漬けのセットだ。どのサイズでもプラス200円でこのセットが可能。前半はどっしりとした豚丼を味わい、後半はやや甘めのあご出汁を注ぎ込み好みの薬味を加えてお腹にやさしいお茶漬けとなる。

味の変化にはサイドメニューにある温玉(100円)も有効。やはり残り半分になってから温玉を加えると、ねっとりとした濃厚な味わいに変貌する。

いずれの楽しみ方でも手頃な価格ゾーンなので1000円を超えないだろう。店内も明るく清潔で、カウンター10席だけという気軽に飛び込める店である。なお入口で列をつくっていても、回転がかなり早いので10分も待つことはない。短気なきようご注意を。

豚丼(中)にお茶漬けセットをプラス、締めて880円なり

(注:価格は2010年5月現在)


豚野郎-ぶたやろう-


住所
東京都千代田区神田駿河台2-6-15 3F
電話番号 03-3219-9322
営業時間
11:00~23:00
お休み 日曜
交通
JRお茶の水駅徒歩1分・地下鉄千代田線新お茶の水駅徒歩1分・地下鉄丸ノ内線お茶の水駅徒歩5分


30万人を集めるタイ・フェスティバル

 アノンナート舞踊団の少女の舞い

5月15日土曜日、快晴。強い陽光のもと恒例になった「タイ・フェスティバル」が代々木公園で盛況のスタートをきった。

2000年から始まったこのタイ・フェスも今年2010年で11回を数える。最初はタイ料理をテーマにしたフードフェスとして始まったが、回を重ねる毎に規模も大きくなり、国際親善や文化交流という意味も濃くなったため 「タイ・フェス」 とタイトル変更もした。

開催も今では東京だけでなく全国で展開するほどのイベントに成長した。東京開催は第1回のみ9月に実施されたが、以後は毎年5月に週末2日間開催されている。


原宿駅から会場の代々木公園に向かっていると、明治神宮の鳥居前にある原宿口広場で人だかりがしている。

何事かと尋ねると 「馬が躍っている」 と云う。

そんな馬鹿な! さっそく割り込み見学をしてみた。なるほど明らかに通常と違う動きをしている。

全身に飾りを満載した白馬が、ラジカセから流れる大音量の民謡に合わせ小刻みに身体を揺すっている。

民謡が終わると馬の動きもピタリと止まる。音が流れると再び動き出す。

しかしこの動きは民謡に合っていないので、音楽を変えた方が賢明だろう。 「レゲエ」 のリズムならGOODだ。

このあと係員に聞いたら、この催しは「おはら祭」のひとつ"鈴かけ馬躍り"であった。

「おはら祭」というのは渋谷区と鹿児島県が提携している祭で10年以上もつづく祭であった。

「タイ・フェス」と同日・同地区のガチンコ勝負のようだ。

いずれにせよ、そこを早々に退散し代々木公園に歩を向けた。夏を感じさせるほど強い日差しのもと満艦飾の格好で踊らされている白馬が気の毒でならない。とても喜んで踊っているようには見えなかったからだ。


本国バンコックでは深刻な政情不安がつづいているが、会場では何事も無かったように平和な光景が展開していた。

11時を回ったばかりだが、会場はすでにごった返すように混んでいた。

東京近郊のタイ・レストランが大集合するこのイベントは、アジアのエスニック料理やタイ料理ファンには願ってもない企画なのだ。

忙しい日常では訪問できない成田、所沢、越谷、遠くからは大阪や堺などの料理店の味が一か所で味わえるのだから。


食欲をたたき起す香りがあたり一帯に充満している。各出店前には列が並び、ブース以外の空きスペースに敷かれたビニールシート上では、買い求めたタイ料理を楽しむ人で溢れていた。

食事をする姿ほど生命力に溢れた風景はない。単純にして純粋な行為である。だから今この時、会場は活力に満ちて生き生きとしていた。

目前で料理されるタイ料理の数々。いずれも見るからにホットでスパイシーな感じが視覚からも伝わってくる。このエリアに迷い込んだら五感が刺激され、間違いなく長い列に加わることになるだろう。

しかし混み方が半端ではなく、場内の移動にも相当な体力が要る。場内の一角にある野外ステージでムエタイのデモが始まるアナウンスがあったが、そこへたどり着けないのである。

会場を埋めつくす人波

やっと野外ステージそばに到着するとすでにムエタイのデモンストレーションが始まっていた。

ウィラサクレックジムのウェルター級チャンプらによる模範演技だ。

"ムエタイ"は直訳するとタイの格闘技となるのだが、その発祥には歴史がある。

タイ国はラオスやカンボジアなどと隣接しており、当然のことながら食文化や宗教などの影響を色濃く受ける。


また摩擦が生ずれば戦いへと発展もする。隣国のビルマ(現ミャンマー)と争いが勃発した500年ほど前、この素手による格闘技ムエタイが生まれた。日本でこのムエタイを消化吸収したものがキックボクシングとして普及してきた。

模範演技のあと、観衆に向かって「ムエタイをやってみたい人はステージへどうぞ」と司会者から案内があった。びっしりと詰めかけた観客の中から次々に手が挙がる。女性ばかりだ。

飛び入りの観客女性がムエタイ選手へ殴る蹴るの猛烈な攻撃を始める

結局4人の女性、男の子と男性それぞれ1人づつ選ばれ壇上へ上がった。手にグローブを着けてもらった女性たちは、現役のムエタイ選手相手に嬉々として攻撃を始めた。

天真爛漫に殴ったり蹴ったりと、なんとたくましいことか。つづく子供はご愛嬌として、最後に残った男性客は攻撃ではなく、選手のキックを受けたいと申し出た。


確かにプロのムエタイ選手のハイキック衝撃度がどの程度のものか、大いに興味の湧くところではある。

男性の構えたキックミットに重いハイキックがめり込む。当たった瞬間、男性の両足が床から浮き上がるほどの衝撃だった。

女性が攻撃を選び、男性が守りを選ぶ。平成の世ならでは光景かもしれない。

ムエタイを観戦したためか、すっかりお腹がへってしまった。午後1時も回っていたのでランチを取ることにした。

どのお店でも500円の価格を中心にした手軽なサイズの料理が並んでいた。またスイートの種類が豊富であることも初めて知った。

所沢から出店している「サームピーノーン」で "カオムーパッ"という豚肉炒めご飯をランチに選んでみた。


食事をする隙間など休憩エリアにもビニールシート上にもまったく無く 立食になってしまった。

スパイシーな味が舌に小気味よく、クセになりそうな味を十分愉しめた。

辛くて旨いぶんだけ、喉も渇く。飲み物を探していたら生のココナッツを売っていたので、デザートがわりにココナッツジュースにした。

ココナッツジュースといっても味は薄く、甘さもココナッツの風味も薄っすらとしている。

ココナッツウォーターと呼ばれるくらいだから水に近い。スポーツ飲料に似たテイストかもしれない。

この液体は固い種子の核に守られているので、穴を開けるまでは全くの無菌状態にある。

点滴用の生理食塩水の替りにもなってくれるほど清潔な液体なのである。

生ココナッツの値段も500円。ランチトータル1000円というCPの良さだった。


食後の運動にまた人混み歩きを再開。原宿口ゲートから入場したので、今度は反対側の渋谷口ゲートを目指してみた。NHKホール横からNHKの正面へ向かう広い通りである。

両側にはタイの物産や手工芸などの店が軒を並べていた。かさばるものを購入した客に便利な宅配受付ブースも完備。このタイ物産市場の通りもかなりの盛況ぶりだった。


店前で直売されているフルーツを見て思い出したことがある。タイ・カービングという野菜やフルーツの飾り彫りだ。

ロンドンのピカデリーサーカスのどこかの店と記憶しているが、見事な作品を見たことがある。

大輪の花に仕上げられた作品だった。その素材がスイカであったことに驚いた印象は今なお鮮烈に憶えている。

他の作品も素晴らしく、素材を言い当てるのにひどく苦労をしたのだ。実演を見たいと思っていた。

会場内ではそのタイ・カービングを見かけなかった。唯一可能性があるとしたら、途中にあった工芸を体験できるパビリオンだろう。

その場所に戻ると長蛇の列だった。並ぶには覚悟が要るほどの長さだ。係員に尋ねるとカービングはやっていないという。

気持ちよく列を離れた。

野外ステージでは次のプログラムが始まっていた。1998年設立されたアノンナート舞踊団による古典と現代舞踊のお披露目だ。

舞台上では子供から大人の団員まで、実に堂々とした舞踊を見せてくれる。スタートしてまだ12年の舞踊団だが、海外活動を旺盛にこなしているらしく舞台度胸も申し分がない。

後を振り返ると来場客は減るどころか一層増えてきていた。身動きが取れなくなる前にそろそろ脱出することにした。

最後に今後の「タイ・フェス」の予定を簡単にご案内しておこう。
7月31日(土)・8月1日(日)....「タイ・フェスティバル in 大阪 2010」
9月4日(土)・5日(日)....「タイ・フェスティバル in 名古屋 2010」

10月30日(土)・31日(日)....「タイ・フェスティバル 2010 ヨコハマ」

東京の方はこの6月12日(土)・13日(日)に上野公園噴水広場にて「タイ文化フェスティバル」と題されたミニサイズのイベントが予定されている。ホットでスパイシーなタイ文化をかじってみては?


いざ出陣! 神輿の担ぎ手は地元会社の若手社員

張り切って神輿(みこし)のもとに参集する地元企業・丸紅の若手社員たち

今年も祭の季節がやってきた。ゴールデンウィークが過ぎると、祭の近い町はざわざわと騒がしくなり始める。

例年、上野の下谷神社と神田の神田明神からスタートを切る。5月9日の日曜日、朝早くから神田明神下の交差点では祭袢纏(まつりばんてん)に身を固めた人たちがのんびりと神田明神に向かっている。

神田明神の境内に入ると印袢纏を着た人たちでごった返している。その戦場のような中を泳ぐように神殿に近づくと、2基の大神輿が出番を待つように置かれていた。

おみこしは町内会で管理する町神輿と神社が持つ本社神輿または宮神輿の2種がある。神輿がいくつあっても目的はひとつ。氏子の住む地域まで様子を見まわるための神の乗り物である。神輿を担ぐということは、氏子が降臨した神を担ぎ、息災と豊穣に感謝しながらわが町を見ていただくという、極めてシンプルな儀式なのである。

しかし目的はシンプルでも、そのルールは地区ごとの差異はあるものの、いたって厳粛で頑固に守られてきた歴史ある儀式なのだ。つまり氏子でなければ神輿は担げないということでもある。

                          神田明神を出発した将門神輿

しかしここ神田祭では氏子以外でも担ぎに参加できる神輿がある。

関東の覇者、平将門(たいらのまさかど)を祭神とした神輿である。関東大震災で消失してしまった将門神輿だったが2005年に復活した。

神田神社の氏子地となる大手町に将門の首塚があるが、その隣地の三井物産が自身もメンバーになっている「将門塚保存会」へ寄贈したのである。

このことが地域社会との共生や文化保存継承に賛同協力していた地元企業が神田祭に参加する契機となった。

2005年より登場した将門神輿を担ぐのは同保存会なので、積極的な希望社員がその役割を担うことになったというわけだ。

今ではすっかり祭や神輿のとりこになった社員も増え、今年は1000人を超える希望者だったという。

この将門神輿の屋根の形状だが、一般的な唐破風型ではなく入母屋形式であつらえてあるので遠目でもひと目でそれと判る。


境内に待機していた神田明神本社の大神輿が始動した。つづいて将門神輿も動き始める。時計を見ると9時30分を回っていた。正面出入口の随神門2層部には報道陣がすずなりになっていたが神輿の動きに合わせ慌ただしく動き始める。

随神門の口の高さが低いので、2基の神輿は現在工事中になっている神楽殿裏を迂回し、大鳥居へと向かってリズミカルに動いてゆく。大鳥居をくぐると2基の神輿は左右に分かれ違うルートを巡行する。そして12時には大手町の将門の首塚で再び落ち合うことになっている。平将門命奉斎700年を奉祝する儀式のためである。

出発直後の将門神輿の担ぎ手たちは皆若く、顔もかなり興奮気味だ。男子に混ざった初経験と思しき女性などは完全に意気が揚がりすぎており、数ブロックともたないだろう。相当数の交代要員が後に控え随行しているので大手町までは無事に巡行できるだろう。


神輿を送り出したあと、久しぶりだったので境内を散策するjことにした。

駐車場の近くを通り過ぎると見覚えのないスロープが駐車場の屋上へと延びていた。

昇ってみるとけっこうな広さの緑園が造成されていた。この4月にできたばかりらしい。

世界温暖化を少しでも抑止できればと神田明神が実施した境内緑化事業であった。 回遊式・屋上緑園を造成してゆくとあった。

境内の端に設置してある御百度石に猫を発見。最近よく猫と出会っているが、いつも "眠り猫" なのだ。

この御百度石は参拝者が、境内にある"だいこくさま"、"えびすさま"へ百度のお参りする時の指標となる石碑なのである。

すっかり猫の棲み家になり果ててしまっている。しかしこんな寝顔の猫を起こすほど無粋な人間はここにはいない。

もっとも何をしても起きないと確信している。あの神輿出発の大騒ぎすら意に介していないのだから。

神殿前に戻るとちょうどこの神社の雅楽部による「浦安の舞」の奉奏が始まったところであった。紅一点の和琴(わごん)や笙(しょう)・打物の合奏に舞いを入れた舞楽であった。

周りの騒がしい空気が典雅なものに一変してしまった。つくづく人間の持つ情感のうねりの不確かを実感する。

今まで筆者の後でしゃべりまくっていた妙齢の婦人まで寡黙にさせてしまうのである。舞いが演出する たおやかな景色もインパクトはあるが、音は空気のすみずみまで沁み入るように埋めてゆき...そして情感までも支配する。

すっかり雅た心もちになったので将門の首塚へ向かい、将門神輿を追いかけることにした。時計を見ると長針と短針がVサインをしている。ちょうど11時だから徒歩でも充分追いつけるだろう。

東京消防庁のところで追いついた。スタートの時とはうって変わった足運びになっていた。確実にリズムを刻んでいた。

たまたまの視点なのだろうが、内堀通り沿いの植え込みの緑が彼らを包んでいるように見え、まるで野原をゆく神輿であった。


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